「江戸が終わる」ことについて
幕臣勝海舟は早期停戦を唱えて薩長軍を率いる西郷隆盛と交渉、同年旧暦4月11日(5月3日)に最後の将軍徳川慶喜は江戸城の無血開城し降伏、交戦派と官軍の間の上野戦争を例外として、江戸は戦火を免れた(江戸無血開城)。慶応4年/明治元年旧暦1月3日(1868年1月27日)に戊辰戦争が起こり、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、薩長軍の大軍が江戸に迫り、江戸は戦火に晒される危険に陥った。同年旧暦10月13日(11月26日)に明治天皇が東京行幸した際、「江戸城」は「東京城」と改称された。翌明治2年旧暦2月19日(1869年3月31日)には新たに朱引きの範囲が定められ、旧暦3月16日(4月27日)には町地に五十番組制(五十区制)が敷かれた。旧暦11月2日(12月4日)には武家地を含めた地域が東京府の管轄となった。同年旧暦7月1日(5月12日)に町地を中心に「江戸府」が設置された。同年旧暦7月17日(9月6日)には「江戸」は「東京」と改称され、「江戸府」は「東京府」となった(江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書)。明治4年旧暦6月9日(1871年7月26日)には朱引が改定され、大区小区制に基づく六大区制が導入された。同年旧暦7月14日(8月29日)の廃藩置県以降、段階的周辺の地域が東京府に併合され、明治4年旧暦12月27日(1872年2月5日)には武家地・町地という名称が…